先日7月7日朝(6時~7時)日本学ユニバーシティ(歴史チャンネル)において「自己肯定感が高まる!江戸っ子マインド」についてお話をさせていただきました。
昨今、日本には自分に自信がない、どうせ私なんて、と思って自分を受け入れられなかったり、好きになれなかったり、一度の失敗で人生が終わったようなネガティブ思考になりがちな人が、年齢に関係なく多いといわれています。
しかし、古(いにしえ)の人たちもそうだったのでしょうか。
私は、20年前でしょうか。NHKの「お江戸でござる」という江戸の庶民文化をテーマにした番組に毎回出演されていた江戸風俗研究家の杉浦日向子さんのお話が面白く、著書を何冊も読んでいました。その中に「マッチ売りの少女が江戸娘なら、あんな悲劇にはなりゃしません。たぶん。「てれつうてんてんつけ木(マッチ)だよ。~きみょうしんみょうつけ木だよぉ、」とか踊って、めでたく完売させたことでしょう。」という内容があり、ずっと頭にありました。
当時の私は、がちがちのネガティブ思考の持ち主で、マッチが売れなければそれで終わり、と当たり前に考えており、明るく売ろうというような、他の選択肢を考える思考ができておらず、その江戸娘の前向きな発想と行動がとても羨ましく思え、印象に残っていました。
最近、この江戸娘の記憶から、久しぶりに、杉浦さんの著書を中心に江戸庶民に関する書に触れてみたところ、江戸時代と現代では、時代が変わり、ライフスタイルもだいぶ変わりましたが、現代の私たちが失い、悩み、心から精神的に求めているものを、江戸の人は既に持っており、現代の私たちにとてもヒントになることがたくさんあるのではないか、と改めて感じる点が多々ありました。
そこで、私なりに感じたそれらのポイントを以下の3つの切り口でまとめてみました。
1.言葉遊び 2.長屋社会 3.多様性
1の言葉遊びについては、当時は、駄洒落でもてることが最上級だったそうです。洒落、駄洒落、川柳、狂歌、小噺など言葉遊びが大好きな江戸っ子は、現代の感覚でいう、無駄なことを真剣に楽しんでいました。現代では評価されないこの無駄なことこそ、その人らしさや心の余裕をつくることにつながるのではないでしょうか。
また、言葉遊びは、頭の体操にもなり、発想の転換を鍛え、物事の捉え方の選択肢を増やすことができるようになると考えます。
また、杉浦日向子さんはいっています。
「現代に笑いが少ないのは、失敗してはいけないんだということを子どもの時から教えられていることが原因なんじゃないでしょうか。失敗して当たり前なんだというふうに育っていかないと笑えないですよ。」
約20年前にかかれた内容ですが、今さらに突き刺さる言葉になっていると思うのは私だけでしょうか。
2.長屋社会:
・江戸の長屋暮らしには3つのルールがあったそうです。
1.初対面の人には出身地や生国(しょうごく)をきかない
2.年齢をきかない
3.家族を聞かない
ご近所づきあいをするうちに、自然とわかってくるとゆったり構えていたそうです。通称「九尺二間裏長屋」といわれる大変狭く壁の薄い住居ですが、必要なものは共有し、余計なことにはタッチしない、ある面ドライな面ももっていました。自分軸をしっかりもっていないと、そのようなあけっぴろげの長屋社会ではやっていけないのでなかったかと想像します。
3.多様性:当時は多国籍とはいえませんが、地方の人が江戸にたくさんきていた中、江戸っ子にはお国なまりを笑わないというルールがあり、地方出身者のなまりを笑うことはタブーでした。
実は庶民の女性は職業を持っていた人も多く、障かい者のお世話なども町内で一斉にやっていました。そして、年配者や一年でも多く生きている人を尊敬していました。
その理由のひとつが、自分よりも春夏秋冬の四季を1回でも多く経験しているからとのことです。
それから、江戸には、職業や地位を越えて同行の者が集まる「連」と呼ばれるサークルが無数にあり、身分に関係なく、武士も町人も、武士の奥様も庶民のおかみさんも、いっしょくたに集まっていました。中でも、狂歌は盛んで、遊女も参加をして歌をよんでいました。
江戸の識字率は高かったと同時に、身分関係なく共通の好きなことをやれる場があったということは、各々が自己肯定感を持ち、お互いを受け入れていたとうことといえるのではないでしょうか。
これらの土台には、江戸っ子が大切にしていた下記のことも大きく影響していると思います。
- 江戸の寺小屋の教育の基本は、禮(れい)。禮とは豊かさを示すこと。
豊かさとは心の豊かさで自分自身の心が満ち足りていなければ、他者を敬ったり、許したりできないということ - 人情。
- そして、江戸っ子の基本は三無い:持たない、出世しない、悩まない。
再び杉浦さんの言葉です。「ほんとうに貧しいくらしの中からは文化はうまれない。歌舞伎や浮世絵など世界に誇る日本文化は特権階級の所産でなく、わずか三坪の隅家に寝起きし、たちくい屋台で丼をかっこしていた江戸の庶民が咲かせたもの」
これらは約260年の泰平があったからこそですが、当時のお殿様だけでなく、名もなき多くの先人たちの心の豊かさの底力も大いにあったのではないでしょうか。
ご存じの方もいられると思いますが、歌川国芳の浮世絵に「浮世よしづ久志」という作品があります。
歌川国芳は江戸時代末期の浮世絵師ですが、この浮世絵には、中央に大きな字で「よし」と書いてあります。
周りに描かれている人には、すべて「よし」がつけられています。例えば、赤ちゃんは機嫌よし。微笑む美人に男性が肩をぽんとたたかれて「夢でもよし」、などなどあらゆる人のよいところを探し出しほめたたえており、全員が幸せな人と描かれています。
そして、右上に後ろ向きで描かれている男性こそ、国芳本人。恥ずかしがり屋で後ろを向いています。
それぞれの人には、それぞれのよさがあるんだよ、よしよし、と肯定している浮世絵が、江戸時代に既に存在していることは素晴らしいと思いますし、有難く、ほっとする安心感と幸福感をもらえるな、と感じる現代人は多いのではないかと思います。
時代を越えても、人間が心から大切にしていること、求めていることは変わりません。
古(いにしえ)の先輩が残してくれた良いものは、ありがたく引き継いでいきたいものです。
(文責:おないみえこ)