わが子が親の期待を大きく外れるような事をした時、「あぁ、道を踏み外してしまった」と意気消沈し、「なんとかして元の道に戻さなくてはだめだ」と躍起になることはありませんか?
産まれる時はただ元気に産まれてほしいとだけ願ったのであろう親も、わが子が成長するにつれ、こんなこともできたらいいとか、ああなってほしいとか、いろいろと思い願うことが増えてきます。そして、無意識のうちにわが子の歩む道を想像してしまっています。
そもそも、この場合の“道”とはいったいどのような道なのでしょうか。
例として挙げるならば、わが子が急に学校に行かないと言い出し、不登校になった時、戸惑った親は道から外れたと感じられるのではないでしょうか。その道とは親の中で“学校に通うこと”なのでしょう。日本では大多数の子は学校に通います。義務教育で親には教育環境を整える義務があるので学校に通うことが当然というのが大多数の親の感覚です。しかし、わが子の道は“学校に通うこと”ではない場合もあります。文科省発出の通知『不登校児童生徒への支援の在り方について』にもありますが、不登校児童生徒に対する多様な教育機会の確保という記載があり、教育支援センター,不登校特例校,フリースクールなどの民間施設,ICTを活用した学習支援などいわゆる“学校に通うこと”以外の教育機会も近頃では認められるようになってきました。
私たちは大多数の人間が行うことを本能的に正しい道だと認識します。日本は同調することを重んずる国民性があるので自然の流れだと思います。しかし、わが子が歩む道は “大多数の人間が歩む道”とは限りません。もちろん大多数が歩む道は既に多くの人が通っているので広く、踏み均され歩きやすいでしょう。その道の先も見通しがたつので多少凸凹がある道でも親としては安心できます。しかし、その道を歩まねばならないかというとそうとは限りません。先に述べた不登校児の例のように、広い整備された道以外も道は多数あるのです。道から外れるわけではなく、新たに自分の道を歩むだけの話です。道の方向はどちらにも延ばすことができます。しかし、この道を行くためにはある程度自分で切り開くことが必要となりますので、子供も親もそれなりの覚悟が必要かもしれません。
不登校児に限らず、今後は多様な道が認められるようになっていくでしょう。グローバル化の中で活躍するには同調だけでなく個性も重要視される社会となっていきます。そんな時に身につけていると心強いのが自己肯定感です。自己肯定感があると、「I’m OK、You’re OK」 の思考になります。これは自分のことも他者のことも存在として尊重し価値を認めようとする考え方です。みんなの広い道でも良いけれど、自分の細い道でも大丈夫さ、と親子共に思えると、わが子が歩む道が少し歩きやすくなるかもしれませんね。
(文責:須田 彩)
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