なぜ今、人事戦略に「セルフエスティーム(自己肯定感)」が必要なのか

工藤紀子
この記事の監修者
工藤紀子|代表理事
一般社団法人日本セルフエスティーム普及協会 代表理事。自己肯定感の研究と実践に27年以上取り組み、のべ2万人以上に研修を実施。著書に『自己効力感の教科書』『職場の人間関係は自己肯定感が9割』等。詳しいプロフィール →

1. 人的資本経営の時代に問われる「人が力を発揮できる状態づくり」

人的資本経営が重視される今、企業は人材を「コスト」ではなく「資本」と捉え、その価値を引き出すことによって中長期の企業価値向上につなげることが求められています。

日本でも、経済産業省が人的資本経営を「人材の価値を最大限に引き出す経営」と位置づけ、近年は人的資本開示の議論や指針の整備も進んでいます。つまり今の人事は、採用や制度運用だけでなく、人が力を発揮できる状態をどうつくるかまで問われる時代に入っています。

2. なぜ研修をしても現場で行動が変わらないのか

その流れの中で、多くの企業がリスキリング、DX研修、管理職研修、次世代リーダー育成などに投資しています。しかし現場では、「研修は実施したが、行動が変わらない」「知識は学んだはずなのに現場で使われない」「管理職研修をしても1on1の質が上がらない」といった悩みが少なくありません。

人事にとって本当に重要なのは、研修を“実施したか”ではなく、学びが職場で使われ、行動に移り、成果につながったかです。研修で得た知識・スキル・態度が職場で実際に活用されることは「学習転移(training transfer)」と呼ばれ、近年のレビューでも、職場での転移こそが研修効果を考えるうえでの中核だと整理されています。さらに、研修転移には本人の動機づけや自己効力感が関わることも示されています。

3. スキル習得の前に必要な“心の土台”

ここで見落とされやすいのが、セルフエスティーム(自己肯定感)という土台です。
自己効力感は「自分はこの課題をやれる」という感覚であり、APA(アメリカ心理学会)も、自己効力感を「特定の成果を生み出す行動を遂行できるという信念」と説明しています。
一方、セルフエスティーム(自己肯定感)は、もっと土台にある「自分には価値がある」「失敗しても存在価値までは否定されない」という感覚です。

学習や挑戦の局面では自己効力感が前面に出ますが、その自己効力感を支えているのが自己肯定感(セルフエスティーム)
です。土台が不安定なままでは、新しい知識は“成長の機会”ではなく、“自分の不足を突きつけられる場”として受け取られやすくなります。

4. 同じ研修でも成果が変わる理由

たとえば、同じDX研修を受けても、セルフエスティーム(自己肯定感)が安定している人は「まずは試してみよう」「分からなければ聞けばいい」と考えやすい一方、セルフエスティーム(自己肯定感)の土台が弱い人は「できなかったら評価が下がる」「質問したら能力が低いと思われる」と受け止め、防衛的になりやすくなります。結果として、学習意欲、質問行動、実践量、定着率に差が出ます。

つまり、スキル研修の前に必要なのは、学ぶための“心の受容性”を整えることなのです。

5. 心理的安全性を支える個人の内側の安心感

このことは、心理的安全性の議論ともつながります。GoogleのProject Aristotleでは、高い成果を出すチームの重要要素として心理的安全性が特定されました。Googleのre:Workでも、心理的安全性とは「チームの中でミスをしても、それを理由に非難されることはない」と思える状態として示されています。さらにAPA(アメリカ心理学会)の2024年調査でも、心理的安全性の高い職場では、従業員の経験がより前向きで、低い職場では転職意向も高いことが示されています。

ただし、心理的安全性は制度や上司の声かけだけで成立するものではありません。
個人の側に「自分はここにいてよい」「指摘されても、自分の価値そのものが否定されたわけではない」と受け止められる感覚が育っていなければ、職場がどれだけ“発言してよい”と言っても、人は本音を出しにくいのです。逆にセルフエスティームが安定している人は、フィードバックを人格否定ではなく改善材料として受け取りやすく、質問・相談・提案・失敗共有がしやすくなります。心理的安全性は、組織風土の問題であると同時に、個人の内側にある安心感の問題でもあります。

6. エンゲージメントを高めるのは「自分は貢献してよい」という感覚

この視点は、エンゲージメントにも直結します。Gallupの2024年版メタ分析では、11の業績指標に対して、エンゲージメントとの関係が一貫して確認されています。調査対象は347組織、90か国、10万超のチーム、約335万人規模に及び、エンゲージメントの高い組織単位ほど成功確率が高いことが示されています。エンゲージメントは単なる満足度ではなく、仕事・チーム・組織への心理的なつながりです。だからこそ、福利厚生や報酬だけでは持続しません。

では、何が持続的なエンゲージメントを生むのでしょうか。
それは、「自分はこの仕事を通して価値を発揮できている」「ここで貢献してよい」という感覚です。セルフエスティームが高まると、人は他者評価に振り回されにくくなり、自分の強みや役割を前向きに引き受けやすくなります。仕事が“やらされごと”から“意味のある貢献”へと変わり、主体性が生まれます。人事施策の観点で言えば、セルフエスティームへの投資は、単に優しい職場をつくるためのものではなく、内発的動機づけを高め、エンゲージメントを強くするための施策です。

7. 離職防止とレジリエンス向上にどうつながるのか

さらに重要なのが、離職率やレジリエンスへの影響です。
WHOは、職場のメンタルヘルスの問題が、プレゼンティズム(出勤していても十分に力を発揮できない状態)、アブセンティズム、離職に影響し、企業にも大きなコストをもたらすことを指摘しています。WHOのガイドラインでも、失われた生産性であるプレゼンティズムは、欠勤や離職と並んで大きな経営課題として扱われています。

自己肯定感が低い状態では、失敗や叱責が「行動へのフィードバック」ではなく、「自分はダメだ」という自己否定に直結しやすくなります。その結果、回復に時間がかかり、挑戦回避や燃え尽き、周囲との摩擦、離職意向の上昇につながります。反対に、セルフエスティームが安定している人は、困難を経験しても「今回うまくいかなかっただけ」「やり方を変えよう」と捉え直しやすく、回復が早い。これがレジリエンスです。

8. 管理職の質を左右する“土台”としてのセルフエスティーム

特に管理職においては、この差が大きく表れます。自分に余裕のない管理職は、部下のミスを自分の脅威として受け止め、支配的・威圧的になりやすい一方、土台が安定している管理職は、部下の成長を支援する姿勢を取りやすくなります。セルフエスティーム(自己肯定感)は、個人のメンタルだけでなく、マネジメントの質を左右する経営資源でもあるのです。

9. 人事施策としてROIをどう捉えるか

では、人事としてこのテーマをどうROIにつなげていけばよいのでしょうか。
重要なのは、セルフエスティーム研修を“気分を良くする研修”として扱わないことです。位置づけるべきは、既存の人材開発投資の成果を高める基盤施策です。
たとえば、以下のような指標と連動させると、施策価値が見えやすくなります。

• 研修後の実践率、行動変容率、3か月後の定着率
• 心理的安全性サーベイの変化
• エンゲージメントスコアの変化
• 1on1の実施率・満足度
• 欠勤率、プレゼンティズム、相談件数
• 離職意向、離職率、管理職層の部下評価

セルフエスティーム研修単体の効果だけを切り出すのではなく、DX研修・管理職研修・リーダー育成の成果を底上げする土台投資として設計すると、人事戦略上の位置づけが明確になります。
言い換えれば、スキル教育を成功させたいなら、まずは「学べる状態」「挑戦できる状態」「関われる状態」をつくることが先なのです。

10. これからの人事戦略に必要なのは“見えない土台”への投資

これからの人事戦略は、知識を与えるだけでは足りません。
社員一人ひとりが、安心して学び、試し、失敗し、回復し、再挑戦できる状態をどうつくるか。その基盤にあるのがセルフエスティーム(自己肯定感)です。人的資本経営の本質は、人を管理することではなく、人の可能性を最大化することにあります。だからこそ今、人事に必要なのは、スキルという“見える能力”だけではなく、その能力を支える“見えない土台”にも投資する視点です。

おわりに

セルフエスティームは、甘やかしでも精神論でもありません。
それは、学習転移を高め、心理的安全性を育て、エンゲージメントを高め、離職を防ぎ、マネジメントの質を変えていく、人事戦略上の基盤施策です。
研修の成果が定着しない時代だからこそ、いま企業が向き合うべきは「何を教えるか」だけではなく、「社員がそれを受け取り、活かせる状態にあるか」という問いなのです。

(文責:代表理事 工藤紀子)

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工藤紀子 代表理事
一般社団法人日本セルフエスティーム普及協会 代表理事。27年以上にわたり自己肯定感(セルフエスティーム)の研究と実践に取り組み、日本人の特性に最適化した独自メソッドを開発。

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