「わからない」に耐える力が、組織を強くする ―ネガティブケイパビリティと自己肯定感―

わからないに堪える力が組織を強くする。ネガティブケイパビリティと自己肯定感
工藤紀子
この記事の監修者
工藤紀子|代表理事
一般社団法人日本セルフエスティーム普及協会 代表理事。自己肯定感の研究と実践に32年取り組み、のべ2万8千人以上に研修を実施。著書に『レジリエンスが身につく 自己効力感の教科書』『職場の人間関係は自己肯定感が9割』等。詳しいプロフィール →

正解のない時代に求められる「急いで答えを出さない力」

生成AIの急速な普及、慢性的な人手不足、働き方や価値観の多様化、地政学的リスク、物価上昇など、企業を取り巻く環境は大きく変化しています。過去の成功事例やマニュアルだけでは判断できず、十分な情報がそろわないまま意思決定を迫られる場面も増えました。

このような時代に注目したいのが、「ネガティブケイパビリティ」です。

ネガティブケイパビリティとは、19世紀の英国の詩人ジョン・キーツが示した概念で、「不確実さや疑いの中にあっても、性急に事実や理由を求めず、その状態にとどまる力」を意味します。単に決断を先延ばしにすることではありません。わからないことを無理にわかったことにせず、問いを持ち続けながら、観察し、対話し、考え続ける力です。

これまで企業では、問題を素早く分析し、正解を導き出して実行する「ポジティブケイパビリティ」が重視されてきました。もちろん、実行力や課題解決力は重要です。しかし、前例がなく、原因も解決策も明確でない問題に対して、早く答えを出そうとしすぎると、表面的な対策に終わったり、誤った前提のまま進んだりする危険があります。

今、組織に必要なのは、「すぐに解決する力」だけではなく、「すぐには解決できない問題と向き合い続ける力」なのです。

組織の焦りが、人材育成とメンタルヘルスを難しくする

厚生労働省の令和6年「労働安全衛生調査」によると、仕事や職業生活に関して、強い不安、悩み、ストレスを感じる事柄がある労働者は68.3%に上ります。その内容は「仕事の量」が43.2%、「仕事の失敗、責任の発生等」が36.2%、「仕事の質」が26.4%でした。前年から質問形式が変更されているため単純比較には注意が必要ですが、多くの働く人が負荷を抱えていることは明らかです。

さらに、令和6年度の精神障害に関する労災請求件数は3,780件、支給決定件数は1,056件となり、いずれも前年度を上回りました。メンタルヘルス対策は、個人のセルフケアだけに任せられる問題ではなく、企業経営上の重要課題です。

職場で不確実な状況が続くと、人は早く安心を得ようとします。その結果、管理職が部下の行動を細かく管理する、短期的な結果を強く求める、問題の原因を特定の個人に求めるといった行動が生じやすくなります。

「なぜできなかったのか」
「誰に責任があるのか」
「いつまでに結果を出せるのか」

こうした問いが必要な場面もあります。しかし、常に答えを求められる職場では、社員は「わかりません」「判断に迷っています」「失敗しました」と言えなくなります。問題が見えないまま進行し、発見された時には深刻化していることも少なくありません。

心理的安全性の研究でも、対人関係上のリスクを取っても安全だと感じられるチームでは、質問、相談、失敗の共有といった学習行動が促されることが示されています。ネガティブケイパビリティを発揮するためには、「わからない」と言える組織風土が欠かせないのです。

ネガティブケイパビリティと自己肯定感

ネガティブケイパビリティと自己肯定感

ネガティブケイパビリティを支える自己肯定感

不確実さに耐えられるかどうかには、自己肯定感が深く関係しています。

自己肯定感が低い、あるいは不安定な状態では、「答えがわからないこと」を「自分には能力がないこと」と結びつけやすくなります。部下から異なる意見を出されると自分を否定されたように感じたり、失敗を認めることが自分の評価を下げると考えたりするため、早く正しさを証明しようとします。

一方、安定した自己肯定感がある人は、「今は答えを持っていない自分」も受け入れられます。

「現時点では判断できない」
「私の考えが間違っている可能性もある」
「もう少し情報を集めよう」

このように言えるのは、弱さではありません。自分の価値と、目の前の判断の正しさを切り離せているからこそ可能な、成熟した姿勢です。

自己肯定感は、「自分は何でもできる」と思い込むことではありません。できないことや不完全さを含めて自分を認め、必要に応じて人の力を借りながら前に進める土台です。この土台があることで、ネガティブケイパビリティは、単なる我慢ではなく、柔軟な思考や創造的な問題解決につながります。

人材育成に必要なのは、知識だけでなく「問いを持つ訓練」

IPAの「DX動向2025」によると、DXを推進する人材が「やや不足している」「大幅に不足している」と回答した日本企業は合計85.1%でした。また、DX人材の「質」に過不足がないと回答した日本企業はわずか3.8%です。IPAは、評価や報酬だけでなく、リスクテイクが尊重される文化や、育成・実践・振り返り・共有ができる環境の重要性を指摘しています。

変化の速い時代には、現在持っている知識だけで仕事を続けることはできません。社員が自ら問いを立て、試し、振り返り、学び直す力が必要です。

例えば、生成AIを導入する際、「効果があるのか、ないのか」と最初から二択で判断するのではなく、「どの業務なら有効か」「どのようなリスクがあるか」「人が担うべき部分は何か」という問いを持ち、小規模な実験を重ねます。

ある若手社員の仕事が遅れている場合も、すぐに「能力不足」「やる気がない」と結論づけるのではなく、業務量、指示の明確さ、本人の理解度、完璧主義、人間関係など、複数の可能性を検討します。対話を重ねた結果、「失敗して評価を下げたくないため、何度も確認していた」とわかれば、必要なのは叱責ではなく、優先順位の共有や途中相談の仕組みです。

答えを急がないことで、初めて見えてくる課題があります。

企業が取り組むべき三つの仕組み

第一に、管理職研修に自己肯定感と感情のマネジメントを取り入れることです。「事実・解釈・感情」を分けて考える、自分の焦りや不安に気づく、失敗と自分の価値を切り離すといったトレーニングが必要です。

第二に、会議や1on1で「わからないこと」を共有する仕組みをつくります。「確認できている事実」「現在の仮説」「まだわからないこと」「次に試すこと」を分けて話すだけでも、思い込みによる判断を減らせます。失敗を責めるのではなく、そこから何を学ぶかを振り返る機会も重要です。

第三に、評価制度を見直すことです。短期的な成果だけでなく、相談したこと、問題を早期に報告したこと、他者の意見を取り入れたこと、小さな実験から学んだことも評価します。挑戦を求めながら、失敗した人を低く評価する制度では、社員は安全な仕事しか選ばなくなるからです。

「わからない」と言える組織が、変化に強い

ネガティブケイパビリティは、何もせずに待つ力ではありません。不確実さを受け止めながら、対話と小さな行動を続ける力です。

そして、その力を支えるのが、「答えが出せない時も、失敗した時も、自分の価値は失われない」という自己肯定感です。

経営者や管理職が「私にもまだわからない。一緒に考えよう」と言える職場では、社員も安心して意見を出し、助けを求め、挑戦できます。正解を持っている人を育てるのではなく、正解がない状況でも、自分と他者を信頼しながら考え続けられる人を育てること。

それこそが、変化の激しい時代における人材育成であり、社員のメンタルヘルスを守り、持続的に成長する組織をつくるための重要な鍵なのです。

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工藤紀子 代表理事
一般社団法人日本セルフエスティーム普及協会 代表理事。32年以上にわたり自己肯定感(セルフエスティーム)の研究と実践に取り組み、日本人の特性に最適化した独自メソッドを開発。

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