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私は子ども4人(3男1女)社会人から中学生の母親です。
『周りに思われている自分』と『本当の自分』のギャップがつらい…
この言葉は、今から10年くらい前、当時中学生だった息子が言った言葉です。
私はこの言葉にとても衝撃を受けました。
なぜなら、私自身も長年、同じことで悩み続けてきたからでした。
私は精神疾患の祖母と、とても自己肯定感の低い両親という環境の下で育ちました。
精神疾患で希死念慮や被害妄想の強かった祖母が中心の生活で、私は祖母から精神的なネグレクトを受けていました。
祖母はとても感受性の強いHSP(Highly Sensitive Person)の特性があり、私も同じ特性を持っており、ダメージを受けやすい『子ども』という弱者である私が標的になるような生活でした。
両親は気性の激しい祖母を制御することができず、私に対して「仕方がない」と我慢させる状態でした。
家で得られるはずの安心感というものを知らずに、もめ事ばかりが起きいつも緊張しながら生活をしていました。
一方、学校などの外でも、祖母に完全否定されていた私はとても羞恥心が強く、HSPの特性で周囲との違和感を感じやすいこともあり、周囲から浮かないようにいつも緊張していました。
私は、周囲からは、きちんとしているように見られ、しっかりしていると思われ、外見の派手さもあり、同級生や友達からは羨ましがられることの多い子どもで、先生などの大人も私の外側で評価をし、私自身の虚像はとても大きなものでした。
そして私はその評価の高い虚像でいなければならないと思いこみ、周囲に求められる子どもを演じ、評価されるたびに苦しくて苦しくてたまりませんでした。
虚像の自分ばかりが独り歩きし、私はどんどん自信がなくなり意欲というものを持つことができずに大人になりました。
それから大人になり、結婚をし、意欲というものをなかなか持てなかった私の元へ、4人の子ども達が来てくれました。
母親になれたことで、私は一生懸命、子ども達を育ててきました。
私にとって、子ども達はすべてでした。
私は、私自身の生育環境が恵まれなかったから、意欲や自信が持てなかったと思いこんでいたので、子ども達への環境への思いはとても強いものがありました。
環境が整えば、意欲や自信が育つものだと思いこんでいたのです。
しかしそれは違いました。
それを気づかされたのが、冒頭の言葉です。
私が環境だと思っていたのは、自分が苦しみ続けてきた…外側の評価だったのです。
「どんな自分も大丈夫」という気持ちを子ども達に教えることが全くできていませんでした。
自分自身も苦しんできたのに、子ども達へも同じ苦しみを与えてしまったと気がついた時はとてもとてもショックでした。
そこから、私は本当の意味での『自己肯定感』を知るための年月が始まりました。
私は『自己肯定力』という言葉の意味を知るまで、とてもとても自己肯定感の低い、そもそも…低いを通り越して、持ち合わせていない状態で生きてきたような気がします。
なので、最初、私にとっては『自己肯定感』という言葉はとても圧の強いパワーワードに感じられ、羨望の気持ちや嫌悪感を持つほどでした。
そして、『自己肯定感』『自己肯定力』というものの正しい意味を学ばせていただいたことで、私がパワーワードだと思ってしまっていた理由がわかりました。
それは、「自分の存在をありのまま認め、その自分を好意的、肯定的に受け止めることができる感覚」という自己肯定感の土台となるものではなく、外的要因、すなわち私が外側の評価と感じていた部分を『自己肯定感』だと思っていた誤解からのものでした。
大きな間違いに気がついてから、自分自身、子ども達への働きかけは大きく変わりました。
今では『存在そのものを受け止める』ということを意識しています。
こうやって振り返ると、私自身も『自己肯定感』に翻弄されたような半生でした…
しかし今では、本来の自分を取り戻し、ありのままの自分でいられることができるようになってきました。
誰もが本来の自分の力を信じ、本当の自分でいられるようになるために、たくさんの方に、本来の優しさ溢れる『自己肯定感』の意味をお伝えしていきたいと思っています。